雨の日も、いい日です ── 「日々是好日」が教えてくれた、土砂降りの結婚式

目次
- 今日の天気は、どうですか
- 「日々是好日」は、無理に前向きになる話ではない
- 忘れられない、土砂降りの結婚式
- 雨を「はずれ」にしていたのは、私の心だった
- 子どもたちは、雨に「札」を貼らない
- 明日からできる、ほんの十秒の実践
- 最後に ── 雨の日は、雨の日のままでいい
今日の天気は、どうですか
『ふだんの禅』へようこそ。曹洞宗の僧侶、玲音和尚です。
いきなりですが、今日のお天気はどうでしょう。もし雨なら、ちょっとだけ気分が下がっていませんか。
朝、カーテンを開けて、外がどんよりと曇っている。それだけで、「あー、今日は雨か」と、ため息が出る。そんな経験、きっと誰にでもありますよね。
私もそうなんです。洗濯物は乾かないし、出かけるのも億劫になる。靴は濡れるし、なんだか髪型も決まらない。傘を持つ手もふさがって、それだけで面倒に感じてしまう。天気予報で傘のマークを見ただけで、その日一日が少し重たく感じられる。
それくらい私たちは、雨を「困ったもの」として扱っているんですね。特にこれからの季節、梅雨に入ると、雨の日が続きます。気持ちまで、じめじめしてくるような感じがします。
でも、今日お話ししたいのは、こういうことなんです。「雨の日って、本当に『はずれの日』なんでしょうか」。
実は、その雨を「はずれ」だと決めているのは、お天気ではなくて、いつも私たちの心のほうなんですね。今日は、雨の日との付き合い方を、禅の言葉を手がかりに、一緒に考えてみたいと思います。
「日々是好日」は、無理に前向きになる話ではない
禅の世界に、こんな有名な言葉があります。
日々是好日(にちにちこれこうじつ)
聞いたことがある方も、いるかもしれませんね。カレンダーや、お茶室の掛け軸でも、よく見かける言葉です。もとは中国・唐の時代の禅僧、雲門禅師(うんもんぜんじ)の問いかけから伝わったとされる言葉です。
字をそのまま読むと、「日々、これ好(よ)い日」。「毎日が良い日だ」という意味に見えますよね。
でも、ここでちょっと、立ち止まりたいんです。「毎日が良い日」って、ちょっと無理がありませんか。
だって、嬉しい日もあれば、しんどい日もある。晴れの日もあれば、土砂降りの日もある。それを全部「良い日」だなんて、きれいごとに聞こえませんか。
正直に言うと、私も、最初はそう思っていました。「良い日ばかりじゃないよ」って、ちょっとひねくれていたんです。
でも、この言葉は、そういう意味じゃなかったんですね。「どんな日も良い日にしましょう」と、無理に前向きになる話ではない。無理に明るく振る舞いましょう、という励ましでもないんです。
そうではなくて、「良い・悪い、と決めているのは自分の心だ」と気づく。そして、目の前の一日を、ありのままに味わう。そういう教えなんだと、私はだんだん、分かってきました。
「良い日」というのは、自分にとって都合の良い日、ということではありません。その日をその日として、まるごと受け取れたなら、もうそれが「好日」なんですね。
今日は、私自身の「忘れられない雨の日」の話から、この言葉の意味をお伝えしてみたいと思います。
忘れられない、土砂降りの結婚式
少し、私の個人的な話をさせてください。私の結婚式の日のことです。
私が結婚式を挙げたのは、ちょうど、新型コロナウイルスが流行していた時期でした。覚えていらっしゃる方も、多いと思います。人が集まること自体が、難しかった時期ですね。
準備を進めている最中にも、世の中の状況は、日に日に変わっていきました。今日は大丈夫でも、来週はどうなるか分からない。そんな落ち着かない気持ちで、毎日を過ごしていたんです。
そしてとうとう、緊急事態宣言が出てしまいました。招待していた方々のことを思うと、とても開けるような状況ではありません。それで、一度は式を延期することにしたんです。
決めたときは、正直、かなり落ち込みました。楽しみにしていた一日が、ふっと宙に浮いてしまったような気持ちでした。何ヶ月もかけて少しずつ整えてきた準備が、行き場をなくしてしまったようで。カレンダーに丸をつけていた日付を、消さなければならなかったときの、あのなんとも言えない気持ち。
それでも、こんな時期だから仕方がない、と自分に言い聞かせて。いつかきっと、と気持ちを立て直して。そうして、ようやく迎えた、延期したあとの当日。ここで、まさかの出来事が起きるんです。
その日は、朝から、ものすごい雨でした。ザーザーどころじゃない、土砂降りです。カーテンを開けた瞬間の、あの空の暗さは、今でもよく覚えています。雨音は強く、窓ガラスを叩くように降っていました。
正直に言いますね。その瞬間は、「なんで、今日なんだ」と思いました。一度延期して、やっと迎えた日に、よりによってこの大雨か、と。一度延期しているぶん、よけいにこたえました。胸の奥が、すっと重たくなるような感覚でしたね。心のどこかで、「ついてないなあ」と、肩を落としていたんです。
雨を「はずれ」にしていたのは、私の心だった
ところが、です。ここから、私の見方が、少しずつ変わっていきます。傘を差して会場に向かう道すがら、ふと、考えたんです。
よく考えてみると、私たちの式は、最初から、全部、室内で完結する予定だったんですね。外でのお見送りも、お庭での演出も、もともと組んでいなかった。だから、どれだけ雨が降っても、式そのものには、まったく影響がなかったんです。濡れて困る場面は、ひとつもありませんでした。
そう気づいたとき、肩の力が、ふっと抜けたのを覚えています。あれだけ重たかった胸のあたりが、すこしずつ、軽くなっていくのが分かりました。「あれ、この雨、別に何も困らせていないぞ」と。
困っていたのは、雨そのものじゃなかったんです。「結婚式は晴れであるべきだ」という、私の思い込みのほうだった。出来事そのものではなくて、「雨だ」という事実に反応した、自分の心のほうだったんですね。
そう気づいたら、不思議なものでね。窓の外の雨が、急に、違って見えてきたんです。
そして式が始まり、いざその場に身を置いてみると。外の雨音が、かえって室内のあたたかさを、引き立てているように感じられました。集まってくださった方々の顔も、いつもよりやわらかく見えた。窓の外では雨が降り続けているのに、室内はあたたかな声と笑顔で満ちていて。その対比が、なんとも言えず、心に残っているんです。
私はスピーチで、自然と、こう話していました。「今日は大雨ですが、おかげで一番印象深い雨の日になりました」と。
その言葉は、その場をなごませるための、社交辞令ではありませんでした。口にしてみて、自分でも本当にそう思っているんだ、と気づいたんです。
もし晴れていたら、よくある「いいお天気の結婚式」として、もっとあっさり記憶に納まっていたかもしれません。雨だったからこそ、世界にひとつの、忘れられない日になった。だから今では、あの大雨が、いい目印になっているんです。「ああ、あの土砂降りの日が、私たちの始まりだったね」って、妻とも、そう話します。
「はずれ」だと思っていた天気が、いつのまにか、その日を特別にしてくれていたんですね。
子どもたちは、雨に「札」を貼らない
もう一つ、雨の日に教わったことがあります。今度は、子どもたちから、なんです。
私は今、お寺の仕事と一緒に、認定こども園で、保育教諭として働いています。三歳、四歳の子どもたちと過ごす、毎日です。
雨が降ると、当然、外では遊べませんよね。大人の私は、つい「あーあ、今日は外、無理だな」と思う。「子どもたちも、退屈でかわいそうだな」と、勝手に決めつけていたんです。
ところが、子どもたちは、全然、違うんです。窓の外を見て、目をキラキラさせている。
「ザーザー降ってる!」
「あ、ポチャンって鳴った!」
雨の音を、擬音(ぎおん)でそのまま、まるごと楽しんでいる。降っている、ただそれだけのことが、もう、面白くてたまらない。
お散歩に出れば、まっさきに、水たまりに突っ込んでいきます。長靴で、バシャバシャ、バシャバシャ。水をはねさせては、そのたびに笑い声を上げている。私たち大人なら「濡れるからやめなさい」と言うところを、あの子たちは、全身で、雨を喜んでいるんですね。
私も最初は、「やめなさい」と言いかけたくらいです。でも、その姿を、じっと見ているうちに、言葉が出てこなくなりました。その顔があんまり嬉しそうで、止める気持ちが、すっと消えてしまったんですね。
そして、私は、はっとさせられました。子どもたちは、雨を「いい・悪い」で、見ていないんです。ただ、目の前にある「今日の雨」を、まるごと味わって、面白がっている。晴れには晴れの、雨には雨の楽しみがあることを、頭ではなく、体で知っているんですね。
これって、まさに「日々是好日」だなあ、と思ったんです。
私たちは、いつのまにか、一日を「あたり」と「はずれ」に、分けてしまっています。晴れたら、あたり。雨なら、はずれ。うまくいったら、いい日。つまずいたら、悪い日。でも、その「はずれ」の札を貼っているのは、お天気でも、出来事でもなくて、自分の心なんです。
私の結婚式の雨も、そうでした。雨は、ただ、降っていただけ。「はずれ」の札を貼っていたのは、私の心のほうでした。子どもたちは、その札を、まだ持っていない。だから、雨の日も、まるごと「好日(こうじつ)」に、できるんですね。
明日からできる、ほんの十秒の実践
とはいえ、です。「じゃあ明日から、雨でもニコニコしましょう」。そう言われても、難しいですよね。よく分かります。
無理に「雨も最高!」と思い込む必要は、ないんです。それはそれで、また、心に力が入ってしまいますから。
おすすめしたいのは、もっと小さなことです。雨の日が来たら、一つだけ、雨の音に耳を澄ませてみる。
- 強い雨、弱い雨。屋根を打つ音、葉っぱを打つ音。よく聴くと、雨の音にも、いろいろあることに気づきます。
- 窓を流れる雨粒を、ただ、眺めてみる。ひとつの粒が、別の粒とぶつかって、すうっと下りていく。
- 雨に濡れた木々や土の匂いも、晴れた日には気づけない、しっとりとしたものがありますね。
「いやだな」と思う前に、ほんの十秒だけ、ただ、その音や姿を、感じてみるんです。それだけで、ちょっとだけ、心の札が剥がれます。「あ、雨の音って、こんな音だったな」と。
これは、雨の日だけの話では、ありません。思い通りにいかなかった日も、同じなんです。予定が崩れた日。叱られた日。うまくいかなかった日。つい「今日ははずれだ」と、札を貼りたくなりますよね。
でも、その日も、二度と来ない、一日なんです。あたりでも、はずれでもなく、ただ、かけがえのない一日。その一日を、ありのままに、過ごしてみる。それが、「日々是好日」の、いちばん身近な実践だと思います。
最後に ── 雨の日は、雨の日のままでいい
今日、いちばんお伝えしたかったのは、これです。
雨を「はずれの日」だと決めているのは、いつも自分の心。
雨の日は、雨の日のままで、いいんです。晴れを待ちわびる心を、ほんの少し、ゆるめてみる。「はずれ」というラベルを、そっと、はがしてみる。
そうしたら、土砂降りの日が、一生忘れられない、大切な一日に変わることだって、ある。私の結婚式が、まさに、そうでした。
これから梅雨に入って、雨の日が続きます。そんな日こそ、窓の外の音に、そっと耳を澄ませてみてください。
皆さんの毎日が、穏やかで、心豊かなものでありますように。
合掌。


