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雨の日も、いい日です ── 「日々是好日」が教えてくれた、土砂降りの結婚式

窓ガラスを伝う雨粒と、その向こうにぼんやりにじむあたたかな室内の光。「雨の日も、いい日」の静かな転換を象徴。墨絵風・余白多め。

目次

今日の天気は、どうですか

『ふだんの禅』へようこそ。曹洞宗の僧侶、玲音和尚です。

いきなりですが、今日のお天気はどうでしょう。もし雨なら、ちょっとだけ気分が下がっていませんか。

朝、カーテンを開けて、外がどんよりと曇っている。それだけで、「あー、今日は雨か」と、ため息が出る。そんな経験、きっと誰にでもありますよね。

私もそうなんです。洗濯物は乾かないし、出かけるのも億劫になる。靴は濡れるし、なんだか髪型も決まらない。傘を持つ手もふさがって、それだけで面倒に感じてしまう。天気予報で傘のマークを見ただけで、その日一日が少し重たく感じられる。

それくらい私たちは、雨を「困ったもの」として扱っているんですね。特にこれからの季節、梅雨に入ると、雨の日が続きます。気持ちまで、じめじめしてくるような感じがします。

でも、今日お話ししたいのは、こういうことなんです。「雨の日って、本当に『はずれの日』なんでしょうか」。

実は、その雨を「はずれ」だと決めているのは、お天気ではなくて、いつも私たちの心のほうなんですね。今日は、雨の日との付き合い方を、禅の言葉を手がかりに、一緒に考えてみたいと思います。

「日々是好日」は、無理に前向きになる話ではない

禅の世界に、こんな有名な言葉があります。

日々是好日(にちにちこれこうじつ)

聞いたことがある方も、いるかもしれませんね。カレンダーや、お茶室の掛け軸でも、よく見かける言葉です。もとは中国・唐の時代の禅僧、雲門禅師(うんもんぜんじ)の問いかけから伝わったとされる言葉です。

字をそのまま読むと、「日々、これ好(よ)い日」。「毎日が良い日だ」という意味に見えますよね。

でも、ここでちょっと、立ち止まりたいんです。「毎日が良い日」って、ちょっと無理がありませんか。

だって、嬉しい日もあれば、しんどい日もある。晴れの日もあれば、土砂降りの日もある。それを全部「良い日」だなんて、きれいごとに聞こえませんか。

正直に言うと、私も、最初はそう思っていました。「良い日ばかりじゃないよ」って、ちょっとひねくれていたんです。

でも、この言葉は、そういう意味じゃなかったんですね。「どんな日も良い日にしましょう」と、無理に前向きになる話ではない。無理に明るく振る舞いましょう、という励ましでもないんです。

そうではなくて、「良い・悪い、と決めているのは自分の心だ」と気づく。そして、目の前の一日を、ありのままに味わう。そういう教えなんだと、私はだんだん、分かってきました。

「良い日」というのは、自分にとって都合の良い日、ということではありません。その日をその日として、まるごと受け取れたなら、もうそれが「好日」なんですね。

今日は、私自身の「忘れられない雨の日」の話から、この言葉の意味をお伝えしてみたいと思います。

忘れられない、土砂降りの結婚式

窓の外は土砂降り、室内はあたたかな声と笑顔で満ちている結婚式の一場面。外の雨と内のあたたかさの対比。人物の顔は描き込まず雰囲気で。

少し、私の個人的な話をさせてください。私の結婚式の日のことです。

私が結婚式を挙げたのは、ちょうど、新型コロナウイルスが流行していた時期でした。覚えていらっしゃる方も、多いと思います。人が集まること自体が、難しかった時期ですね。

準備を進めている最中にも、世の中の状況は、日に日に変わっていきました。今日は大丈夫でも、来週はどうなるか分からない。そんな落ち着かない気持ちで、毎日を過ごしていたんです。

そしてとうとう、緊急事態宣言が出てしまいました。招待していた方々のことを思うと、とても開けるような状況ではありません。それで、一度は式を延期することにしたんです。

決めたときは、正直、かなり落ち込みました。楽しみにしていた一日が、ふっと宙に浮いてしまったような気持ちでした。何ヶ月もかけて少しずつ整えてきた準備が、行き場をなくしてしまったようで。カレンダーに丸をつけていた日付を、消さなければならなかったときの、あのなんとも言えない気持ち。

それでも、こんな時期だから仕方がない、と自分に言い聞かせて。いつかきっと、と気持ちを立て直して。そうして、ようやく迎えた、延期したあとの当日。ここで、まさかの出来事が起きるんです。

その日は、朝から、ものすごい雨でした。ザーザーどころじゃない、土砂降りです。カーテンを開けた瞬間の、あの空の暗さは、今でもよく覚えています。雨音は強く、窓ガラスを叩くように降っていました。

正直に言いますね。その瞬間は、「なんで、今日なんだ」と思いました。一度延期して、やっと迎えた日に、よりによってこの大雨か、と。一度延期しているぶん、よけいにこたえました。胸の奥が、すっと重たくなるような感覚でしたね。心のどこかで、「ついてないなあ」と、肩を落としていたんです。

雨を「はずれ」にしていたのは、私の心だった

ところが、です。ここから、私の見方が、少しずつ変わっていきます。傘を差して会場に向かう道すがら、ふと、考えたんです。

よく考えてみると、私たちの式は、最初から、全部、室内で完結する予定だったんですね。外でのお見送りも、お庭での演出も、もともと組んでいなかった。だから、どれだけ雨が降っても、式そのものには、まったく影響がなかったんです。濡れて困る場面は、ひとつもありませんでした。

そう気づいたとき、肩の力が、ふっと抜けたのを覚えています。あれだけ重たかった胸のあたりが、すこしずつ、軽くなっていくのが分かりました。「あれ、この雨、別に何も困らせていないぞ」と。

困っていたのは、雨そのものじゃなかったんです。「結婚式は晴れであるべきだ」という、私の思い込みのほうだった。出来事そのものではなくて、「雨だ」という事実に反応した、自分の心のほうだったんですね。

そう気づいたら、不思議なものでね。窓の外の雨が、急に、違って見えてきたんです。

そして式が始まり、いざその場に身を置いてみると。外の雨音が、かえって室内のあたたかさを、引き立てているように感じられました。集まってくださった方々の顔も、いつもよりやわらかく見えた。窓の外では雨が降り続けているのに、室内はあたたかな声と笑顔で満ちていて。その対比が、なんとも言えず、心に残っているんです。

私はスピーチで、自然と、こう話していました。「今日は大雨ですが、おかげで一番印象深い雨の日になりました」と。

その言葉は、その場をなごませるための、社交辞令ではありませんでした。口にしてみて、自分でも本当にそう思っているんだ、と気づいたんです。

もし晴れていたら、よくある「いいお天気の結婚式」として、もっとあっさり記憶に納まっていたかもしれません。雨だったからこそ、世界にひとつの、忘れられない日になった。だから今では、あの大雨が、いい目印になっているんです。「ああ、あの土砂降りの日が、私たちの始まりだったね」って、妻とも、そう話します。

「はずれ」だと思っていた天気が、いつのまにか、その日を特別にしてくれていたんですね。

子どもたちは、雨に「札」を貼らない

長靴の子どもたちが水たまりをバシャバシャと跳ねて笑っている雨の日のお散歩。雨粒・水しぶき・無邪気さ。明るくやわらかい色調。

もう一つ、雨の日に教わったことがあります。今度は、子どもたちから、なんです。

私は今、お寺の仕事と一緒に、認定こども園で、保育教諭として働いています。三歳、四歳の子どもたちと過ごす、毎日です。

雨が降ると、当然、外では遊べませんよね。大人の私は、つい「あーあ、今日は外、無理だな」と思う。「子どもたちも、退屈でかわいそうだな」と、勝手に決めつけていたんです。

ところが、子どもたちは、全然、違うんです。窓の外を見て、目をキラキラさせている。

「ザーザー降ってる!」
「あ、ポチャンって鳴った!」

雨の音を、擬音(ぎおん)でそのまま、まるごと楽しんでいる。降っている、ただそれだけのことが、もう、面白くてたまらない。

お散歩に出れば、まっさきに、水たまりに突っ込んでいきます。長靴で、バシャバシャ、バシャバシャ。水をはねさせては、そのたびに笑い声を上げている。私たち大人なら「濡れるからやめなさい」と言うところを、あの子たちは、全身で、雨を喜んでいるんですね。

私も最初は、「やめなさい」と言いかけたくらいです。でも、その姿を、じっと見ているうちに、言葉が出てこなくなりました。その顔があんまり嬉しそうで、止める気持ちが、すっと消えてしまったんですね。

そして、私は、はっとさせられました。子どもたちは、雨を「いい・悪い」で、見ていないんです。ただ、目の前にある「今日の雨」を、まるごと味わって、面白がっている。晴れには晴れの、雨には雨の楽しみがあることを、頭ではなく、体で知っているんですね。

これって、まさに「日々是好日」だなあ、と思ったんです。

私たちは、いつのまにか、一日を「あたり」と「はずれ」に、分けてしまっています。晴れたら、あたり。雨なら、はずれ。うまくいったら、いい日。つまずいたら、悪い日。でも、その「はずれ」の札を貼っているのは、お天気でも、出来事でもなくて、自分の心なんです。

私の結婚式の雨も、そうでした。雨は、ただ、降っていただけ。「はずれ」の札を貼っていたのは、私の心のほうでした。子どもたちは、その札を、まだ持っていない。だから、雨の日も、まるごと「好日(こうじつ)」に、できるんですね。

明日からできる、ほんの十秒の実践

窓辺で雨音にそっと耳を澄ませる手元・湯のみ・窓を流れる雨粒。「十秒だけ感じてみる」静けさ。墨絵風・余白多め。

とはいえ、です。「じゃあ明日から、雨でもニコニコしましょう」。そう言われても、難しいですよね。よく分かります。

無理に「雨も最高!」と思い込む必要は、ないんです。それはそれで、また、心に力が入ってしまいますから。

おすすめしたいのは、もっと小さなことです。雨の日が来たら、一つだけ、雨の音に耳を澄ませてみる。

  • 強い雨、弱い雨。屋根を打つ音、葉っぱを打つ音。よく聴くと、雨の音にも、いろいろあることに気づきます。
  • 窓を流れる雨粒を、ただ、眺めてみる。ひとつの粒が、別の粒とぶつかって、すうっと下りていく。
  • 雨に濡れた木々や土の匂いも、晴れた日には気づけない、しっとりとしたものがありますね。

「いやだな」と思う前に、ほんの十秒だけ、ただ、その音や姿を、感じてみるんです。それだけで、ちょっとだけ、心の札が剥がれます。「あ、雨の音って、こんな音だったな」と。

これは、雨の日だけの話では、ありません。思い通りにいかなかった日も、同じなんです。予定が崩れた日。叱られた日。うまくいかなかった日。つい「今日ははずれだ」と、札を貼りたくなりますよね。

でも、その日も、二度と来ない、一日なんです。あたりでも、はずれでもなく、ただ、かけがえのない一日。その一日を、ありのままに、過ごしてみる。それが、「日々是好日」の、いちばん身近な実践だと思います。

最後に ── 雨の日は、雨の日のままでいい

今日、いちばんお伝えしたかったのは、これです。

雨を「はずれの日」だと決めているのは、いつも自分の心。

雨の日は、雨の日のままで、いいんです。晴れを待ちわびる心を、ほんの少し、ゆるめてみる。「はずれ」というラベルを、そっと、はがしてみる。

そうしたら、土砂降りの日が、一生忘れられない、大切な一日に変わることだって、ある。私の結婚式が、まさに、そうでした。

これから梅雨に入って、雨の日が続きます。そんな日こそ、窓の外の音に、そっと耳を澄ませてみてください。

皆さんの毎日が、穏やかで、心豊かなものでありますように。

合掌。