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「眠れない夜の禅」寝る前にできる数息観 〜ただ呼吸を見送るという曹洞宗の智慧〜

「眠れない夜の禅」の静謐な雰囲気を象徴。月夜の障子越しに、誰も坐っていないがこれから坐る人を待つ座布団。眠れない夜の余白感を表現する。

「眠ろう、眠ろう」と思えば思うほど、なぜか眠りは遠ざかっていく──。
布団に入って目を閉じても、頭の中で今日のことが回り出して、気がつけば時計の針が真夜中を指している。そんな夜を経験したことはありませんか。

実はこれ、私自身も何度も経験してきた夜の景色なのです。
お坊さんというと、いつも穏やかで悩みなんて何もなさそうに見えるかもしれませんが、まったくそんなことはなくて、こうしてYouTubeで法話を撮るのも、今でもちょっと緊張するんですよ。

今日は、そんな眠れない夜のために、私たち曹洞宗で大切にしている 「数息観(すそくかん)」 という、とてもシンプルな禅の智慧をお話しします。

この記事の芯は、たった一行です。

眠ろうと頑張るほど眠れない。ただ呼吸を見送るだけで、眠りは自然にやってきます。

そっとお茶でも淹れて、ゆったりした気持ちで読み進めてみてください。

「眠ろう」と頑張るほど、眠りは遠ざかっていく

眠れない夜って、本当に辛いですよね。
時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえてきたり、「明日も早いのに、どうしよう」と焦り始めた瞬間、焦れば焦るほど目が冴えていく。心当たりのある方、多いのではないでしょうか。

布団の中で目を閉じても、上司に言われたあの一言、子どもにきつく当たってしまった夕方、来月の支払いのこと──昼間はそれほど気にしていなかった小さな出来事まで、夜の暗さの中でやけに大きく膨らんでいきます。
たまらずスマホを開いてSNSを覗いてしまい、閉じたあとには、かえって目が冴えてしまう。これも私自身、よくやってしまっていた失敗です。

不思議なもので、眠りという子は、追いかけると逃げていく性質を持っています。
こちらが手を止めて、ふっと力を抜いた時に、向こうから「来てもいいよ」とそっと訪ねてきてくれる。そんな性格なんです。

「掴むと逃げる、開くと寄ってくる」眠りの性質を一対の手で表現。左に握った手と離れていく光、右に開いた手のひらと舞い降りる光。最近、「マインドフルネス」という言葉をよく耳にしますよね。呼吸に意識を向けて心を落ち着けるという入り口は、数息観と本当によく似ています。
ただ、曹洞宗の数息観には、ひとつだけ大切な心の持ち方があります。それは、

「何かを得ようとしない」

ということ。
「眠れるようになろう」「リラックスしよう」という成果を、いったん横に置く。ただ呼吸を数えて、見送る。それだけ。

役に立つから坐るのではなくて、ただ坐る。
この 「ただ」 という小さなひと言が、今日いちばんお伝えしたいポイントです。

修行道場の早朝、僧堂での結跏趺坐の姿勢を抽象シルエットで描く。眠気と静けさが共存する朝の坐禅。## 修行中の睡魔と、道元禅師の「只管打坐」

ここで少し、私自身の修行時代の話をさせてください。

修行中は、毎朝四時起き。眠たい目をこすりながら、僧堂(そうどう/坐禅をするお堂)に向かって、自分の場所で足を組み始めます。これがまた、眠いの何のって……。
しかも、坐禅というのは、眠いからといって自分の頬を叩いたり、膝をつねったりして起こすことができないんですね。結跏趺坐(けっかふざ/両足を太ももの上に組む形)で、半眼(はんがん/半分だけ目を開けて畳の半畳ほど先をぼんやり見る)にして、姿勢を崩さずに坐ります。

最初は、眠さに飲み込まれそうになりました。
でもある時、ふっと気づいたんです。

「『眠い』『嫌だな』『早く終わってほしい』──そう思っているということは、心がすでに今ここから離れて、別の場所に行ってしまっているんだな」と。

そこから、眠気が来ても戦うのをやめてみました。
「あ、今、眠いって思ったな」とだけ気づいて、また呼吸に戻る。足の裏に当たる畳の感覚、鼻から入ってくる空気のひんやり感、お腹がふくらんでしぼむ動き。今ここに在る身体の感覚に、そっと意識を戻していく。

不思議なことに、眠気はちゃんとそこに在るのですが、飲み込まれない、という状態になっていきました。眠気と自分が、別々のところに在るような感覚です。

後から振り返って、これは道元禅師(どうげんぜんじ)が説かれた 「只管打坐(しかんたざ)」 の入り口だったのだなと、ようやく腑(ふ)に落ちました。

只管打坐──ただ、ひたすらに坐る。
坐禅を、何かを得るための手段にしない。坐ること、そのものが、もう仏さまのはたらきなのだ。

これは曹洞宗の根っこの教えです。
眠気を消すために坐るのでもなく、集中力を上げるために坐るのでもなく、ただ、坐っている。ただ、呼吸を見送っている。

これって、眠れない夜の私たちにも、そのまま当てはまる教えだと思うのです。
「なんとかして眠ろう」と力んでいる時こそ、眠りからいちばん遠いところに居る。手を緩めて、ただ呼吸に寄り添っている時の方が、心はずっと落ち着いていく。

ちなみに、ちょっと笑い話を一つ。修行中は、日中があまりにハードで、布団に入った瞬間に眠ってしまうので、「眠れない夜」というのはほとんどなかったんです。
ただ、僧堂では一畳に一人ずつ並んで寝るのですが、同期にものすごく豪快ないびきをかく人がいまして。
「その人より早く寝るか、後に寝るか」で、夜の快適さがまったく変わる。だから「あの人より一秒でも早く布団に入る」というのが、私の毎晩のささやかな勝負だったわけです。
今思えば、あれも「眠ろう」と力んでいなかったから、横になった瞬間にすっと眠れていたのかもしれません。

道元禅師は、坐禅の心構えとしてこんな言葉も残されています。

思量箇不思量底、不思量底如何思量、非思量
(しりょうこふしりょうてい、ふしりょうていいかにしりょう、ひしりょう)

ざっくり言えば、「考える」と「考えない」のどちらでもないところに坐りなさい、ということ。
「雑念を消すぞ」と力むのも、もう「考えている」状態。だから、雑念を無理に消そうとはしません。浮かんできたら「あ、浮かんできたな」と気づいて、また呼吸に戻る。それだけでいいんです。

数息観の雰囲気を伝える静かな一枚絵。布団の上で横たわる人物のシルエットと、鼻先から立ち上る一筋の細い線(呼吸の表現)。手順は本文の番号付きリストで読ませる。## 寝る前の数息観のやり方

それでは、この数息観を、お布団の中でどう実践すればいいのか。
特別な道具も、特別な場所もいりません。布団の上で横になったままで大丈夫です。

  1. 楽な姿勢になって、目をそっと閉じる
  2. 自然に入ってくる息と、自然に出ていく息に、ふわっと意識を向ける
  3. 吸う息と吐く息で「ひとつ」、次の吸う息と吐く息で「ふたつ」と数えていく
  4. 十まで数えたら、また「ひとつ」に戻る

これを、ただ繰り返すだけです。

途中で、ほぼ間違いなく、「明日の予定どうしよう」「今日のあの会話、よくなかったな」と、いろんな考えが浮かんできます。これは当たり前。
そんな時は、「あ、今、考えちゃったな」とだけ気づいてください。自分を責める必要は、まったくありません。そして、また「ひとつ」から数え直す。それだけです。

曹洞宗ではこの心の動きを 「莫妄想(まくもうぞう)」 という言葉でも表します。妄想を無理に消すのではなく、「あ、また妄想したな」と気づいて、そっと呼吸に戻る。これが莫妄想の本当の意味です。

数息観に、上手いも下手もありません。
「今日はうまくできた」「全然集中できなかった」という判断もいらない。ただ、呼吸に寄り添う時間を、自分にプレゼントしてあげる。それだけで十分なのです。

それでも眠れない夜は──自分への小さな声かけ

もうひとつ、私自身が眠れない夜にしていることをお話しします。

私も、人間関係でうまくいかなかったり、仕事で思った通りにならなかった日は、夜になっても頭がぐるぐるして、なかなか寝付けません。「あの時こう言えばよかった」「明日どう挽回しよう」と、ずーっと考えてしまう。

そんな時に、自分にかけている言葉があります。

今日、これ以上できることは、もうない。やれることは、全部やりきった。
だから、明日に向かって、ここで一旦休もう。

口に出さなくても、心の中でそっとつぶやくだけで大丈夫です。不思議なのですが、このひと言で、頭の中のぐるぐるが、少しだけ止まるんですよね。

そのまま数息観に入りながら、今度は身体の感覚にも寄り添ってあげます。
指先に触れる布団の感触、肩に入った力をふっとゆるめる動き、背中が布団に支えられている感覚。ひとつずつ、自分の身体に「お疲れさま」と声をかけるように意識をすーっと通していく。
頭の中のおしゃべりが、すこしずつ静かになっていきます。

そして最後に、もう一度こう声をかけます。

今日もここまで、よく頑張ったね。大丈夫だよ。

それでも眠れない夜は、あって当たり前です。私たちは機械ではないですから、毎晩きっちり同じように眠れるわけではありません。
そんな時は、もう「眠らなきゃ」を手放してしまっていいんです。暗い部屋で目を閉じて、ただ横になっているだけでも、身体と脳はちゃんと休まっています。

「眠れていないのに大丈夫かな」ではなく、「今は休んでいる時間なんだ」と受け取ってあげる。
それだけで心の力みは、ふっと抜けていきます。

そして、力みが抜けたところに、眠りはふっとやってきます。ねじ伏せようとしている間は、絶対に来てくれません。こちらが手を緩めた時に、向こうから訪ねてきてくれる。眠りとは、そういうもののようです。

今日、お持ち帰りいただきたいひと言

最後に、今日いちばんお伝えしたいことを、もう一度。

眠ろうとするのを、やめてみる。ただ、呼吸を見送る。

役に立つから坐るのではなくて、ただ坐る。
眠るために呼吸を数えるのではなくて、ただ呼吸を数える。
このちょっとした心の方向の違いが、眠れない夜を、すこし優しいものに変えてくれます。

今夜、お布団に入ったら、ほんの三分だけ試してみてください。

吸って、吐いて、「ひとつ」。
吸って、吐いて、「ふたつ」。
十まで数えたら、また「ひとつ」へ。

途中で考え事が浮かんできたら、「あ、考えちゃったな」と気づいて、そっと「ひとつ」から数え直す。それだけです。
うまくできなくて大丈夫。眠れなくても大丈夫。ただ、呼吸に寄り添う時間を、自分にプレゼントしてあげてください。

皆さんの今夜の眠りが、少しでも穏やかなものになりますように。
そして、明日の朝が、ちょっとだけ軽く始められますように。

それでは──おやすみなさい。

合掌。


この記事は、YouTubeチャンネル「玲音和尚のふだんの禅」の法話「「眠れない夜の禅」寝る前にできる数息観」を、ブログ用にやさしくリライトしたものです。動画版はこちらからご覧いただけます。