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暮らしのそばで縁をつなぐ 前編

徒弟・玲音

こんにちは。芳全寺徒弟の荒木玲音(あらきれおん)です。お坊さんが聞いてみるインタビュー「echo」。今回の対談は、群馬県邑楽郡千代田町にある黄檗宗・眞福山 宝林寺、新堂の海野峻宏師です。海野師は、法人営業、新規事業の立ち上げ、全国各地の宿泊施設運営など、ビジネスの最前線を歩んでこられた異色のご経歴をお持ちの方。ご自坊と並行して育ててこられた寺泊事業「TEMPLESTAY ZENSŌ」の発想と歩みを、二号にわたって伺っていきます。

お坊さんになる前に、社会を知る

荒木玲音(以下、玲音)

海野さんのご経歴を拝見すると、成城大学の経営学科を出られて、ビズリーチに就職、その後はスタートアップ、お坊さん便と、ビジネスのまさに最前線を歩んでこられていますよね。

海野峻宏師(以下、海野師)

子どもの頃はむしろ、お寺からどうやって逃げるかばかり考えていたくらいで(笑)。ただ、外堀は埋まっている。それで「いずれ継ぐにしても、まずは社会を経験したい」と思ったんです。スーツがかっこよく見えていた時代でもあって。

玲音

その「逃げ場を探していた」というところから、どこで気持ちが変わってこられたのですか。

海野師

大きな転機は東日本大震災ですね。大学二年の終わり、二〇一一年三月のことです。あの時、ニューヨーク・タイムズに、被災地を回って供養しておられる僧侶の姿が大きく出たんです。あの記事を見て、不覚にも「かっこいいな」と思ってしまったんですよ。当時の自分には何もできない。それで大学三年で休学して、京都・宇治の萬福寺専門道場に一年お世話になりました。

玲音

まず修行を経験されたうえでビズリーチに入社、というのは伺っただけでも環境の変化に目眩がしそうです。

海野師

ビズリーチは入社当時で百人ほどでしたが、一年半いる間に六百人に膨れあがっていました。毎月優秀な方が中途で入ってくるし、同期もどんどんドロップアウトしていくような世界です。ただ、修行を一年経験していたからか、ある意味「これも修行に比べればまし」と思えたんですよね。あの一年が、社会に出てから一番最初に効いた気がします。

玲音

その後、お坊さん便(株式会社よりそう)で年間一万件規模の手配事業の業務設計を担当されたのも大きなお仕事でしたよね。

海野師

あれは本当にいろんなものが見えた仕事でした。お葬式、お墓、仏壇まで、ひとつの動線として捉えて、提携審査から契約の立て付け、リーガルチェックまで一気通貫で設計したんです。修行中、自分と向き合う時間がたっぷりあったなかで、お寺がだんだんポジティブに見えてきたんですよ。「意外と、なんでもやっていいんじゃないか」と。そこから自分のなかで、「お寺×○○」という掛け算を探していこうというのが軸になりました。

黄檗宗 眞福山 宝林寺(群馬県邑楽郡千代田町)

敷地の離れから始まる

玲音

その「お寺×何か」を探していくなかから、現在の TEMPLESTAY ZENSŌ につながっていくのですね。

海野師

一番最初のきっかけは、よりそうの時に関わっていた民泊のプロジェクトです。みずほ系のインキュベーション会社と Airbnb で動いていたんですよ。住宅宿泊事業法が二〇一六年にできて、ちょうど新しいビジネスが生まれるタイミングでした。その時に「うちの離れ、空いているな」というのが、ずっと頭の片隅にあったんです。

玲音

そこから実際に立ち上げるまで、シェアウイング、GLOCAL といった会社で、宿泊運営のオペレーションを学んでおられますね。

海野師

学ぶ場として最適な会社が、いつもタイミングよくありました。シェアウイングではお寺を活用した宿泊事業を、GLOCAL では古民家やホテルの立ち上げから清掃、無人運営のDX化まで横断的に見せてもらいました。北海道から沖縄まで、毎週どこかに行って宿泊施設を立ち上げているような日々で。母が亡くなったタイミングで働き方を見直し、満を持して二〇一九年に宝林寺で始めたのが ZENSŌ です。

玄関にある円窓 ── たまたま鐘楼堂が見えるようになった四季折々の表情

玲音

ZENSŌ について以前お話を伺った時、印象に残った言葉が「宿坊のグラデーション」というものでした。

海野師

私の友人がほぼお坊さんではない一般の方々なので、一般の感覚でお寺を見たときの距離感が、フラットに入ってくるんです。「坐禅はやってみたいけれど、自分から寺に行こうとまでは思わない」という声がすごく多くて。じゃあ入り口を変えてあげればいい、と思ったんですね。センスのいい古民家風のゲストハウスに泊まったら、たまたま横にお寺があった。「せっかくだから坐禅でもやってみようか」となる。最終的に向かう場所は同じでも、動線を変えてあげる。これが宿坊のグラデーションです。

海野師

濃い部分は、高野山や善光寺といった、どっぷり宗教的なお寺が担っていらっしゃる。宝林寺のような小さなお寺がそこと同じ土俵で戦おうとしても、お金も歴史も空気も違いますからね。だったら、薄いほうの入り口を丁寧に作る。同じラインの上にいるけれど、ぐっと入りやすい入り口を、私たちは引き受けようと。

TEMPLESTAY ZENSŌ ── 円窓・円相と、禅僧・禅荘の意を内包する

ZENSŌ の名前の由来 ZENSŌ は ZEN「禅」と ENSO「円窓」をかけ合わせ、様々な意味を内包する言葉として編み出されました。ENSŌ には「円窓」や「円相」、ZENSŌ には「禅僧」「禅荘」(禅の宿泊施設)といった意味を内包しているとのこと。

□から一つ角が取れると △ になり、全く角がなくなると ◯ になる ── そんな思索の結晶です。

玲音

ご経歴のひとつひとつが、いまの ZENSŌ にまっすぐつながっていることが伝わってきました。次号では、地域や檀家さんとの関わり、そして次世代を見据えた取り組みについて、引き続き海野さんに伺っていきます。


海野峻宏(うみの しゅんこう) 35歳 黄檗宗 眞福山 宝林寺 新堂(しんどう)。成城大学経済学部卒。大学在学中に黄檗宗大本山・萬福寺専門道場にて安居。卒業後、法人営業・新規事業開発・宿泊施設運営に従事し、二〇一九年、宝林寺敷地内の離れを活用した寺泊事業「TEMPLESTAY ZENSŌ」を立ち上げる。JapanTravelAward 特別賞、Airbnb スーパーホストにも選出。檀家管理システムの開発にも取り組む。

徒弟・玲音

つづきは次号の寺報にて。お楽しみにお待ちください。

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