道元禅師ってどんな人?⑤
前回までのお話では、京都での活動が困難になっていった道元禅師が、弟子たちとともに越前の地へ移られ、永平寺を建立されたことをお伝えしました。「威儀即仏法、作法是宗旨」の教えのもと、日常のあらゆる行いを修行と捉える規律を確立、法灯を後世に伝えるための確固たる基盤ができたものの、ご自身を律し続け、厳しい真実の仏法を保ちながら、民衆を教化されていくうちに、禅師は病に侵されてしまいます。
連載「道元禅師ってどんな人?」も、今回が最終回。その晩年と入寂、そしてご生涯を貫いたものについて、お話ししてまいります。

入寂の時
病状は次第に重くなり、建長五年(1253)、ついに永平寺の住持職を第一の弟子である孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師に譲られました。
療養のため、道元禅師は京都へ赴かれ、俗弟子であった覚念という人物の邸宅に滞在されましたが、治療の甲斐もなく、同年、道元禅師は五十四歳(満五十三歳)のご生涯を、静かに閉じられました。
その入寂に際し、道元禅師は次のような遺偈を残されています。
五十四年、第一天を照らす
箇の跳を打して、大千を触破す
この遺偈には、生涯をかけて仏道を追求し、徹底された禅師の境涯と、生死を超えた安らかな心境が込められていると言えるでしょう。長年お説きになってこられた「生死すなわち涅槃」という教えを、まさにご自身の死をもって体現されたのです。

さいごに
道元禅師のご生涯は、幼少期に抱かれた無常観から始まり、真実の仏法を求めての比叡山での研鑽、そして遠く宋の国への渡航、天童如浄禅師との出会いと「身心脱落」という決定的な悟りの体験、帰国後の興聖寺、そして越前の永平寺における教団の確立と、『正法眼蔵』に代表される深遠な教えの説示に至るまで、一貫して純粋で妥協のない求道のお姿に貫かれていました。
道元禅師の遺された曹洞宗の教え、そして『正法眼蔵』をはじめとする数多くの著作は、時代を超えて多くの人々に影響を与え、精神的な支えとなってきました。現代社会が抱えるさまざまな問題や、個々人が直面する苦悩に対し、禅師の言葉は、いまもなお新鮮な示唆と解決への糸口を与えてくれます。その教えは、ただひたすらに、真摯に自己と向き合うことから始まるのです。

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