教師と僧侶 50代からの挑戦 後編

こんにちは。芳全寺徒弟の荒木玲音(あらきれおん)です。
お坊さんが聞いてみるインタビュー「echo」
前回に引き続き、市貝町海福山慈眼寺の住職である國井弘紀師へインタビュー回です。
剣道と禅の共通点
荒木玲音(以下、玲音)
弘紀さんは今も真岡女子高校で非常勤としてお勤めされているんでしたよね?剣道部の顧問も務めていたと確か記憶しておりますが。
國井弘紀師(以下、弘紀)
そうです、修行を終えた後も御縁を頂きました。剣道の良いところが” お互いにリスペクトしあえる” というところですね。何事もそうですが、特に剣道はそれを感じ、生徒と指導者という立場を越えてリスペクトし合う関係ができてきました。
玲音
私は剣道の経験はないのですが、有名な言葉はよく耳にします。例えば「守破離」「一意専心」など調べると剣道でもよく使われる用語なのですね。
弘紀
そうなんです、修行を通して剣道と禅の共通点を感じたこととして、まず「言葉が難しい」こと。禅では不立文字(ふりゅうもんじ)※と言われますが、経典からもそうですし、道元禅師の残された書物から多く学ぶ機会も修行中は多かった。一方剣道の用語も似たように一見難解に感じることも。それと身なりを整える大切さ、これも剣道と禅の共通点だと感じました。
※不立文字:文字や言葉による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるという意味
玲音
威儀即仏法 作法是宗(日常生活の身なりや立ち居振る舞いは全て仏の道であり、これが曹洞宗の教えであるという意味)ですね。確かに剣道も威儀を大切にしていると感じます。これまで長く教師として若い世代の方に相対してきた中で、いつも大切にしている伝えたいことはありますか?
これからの世代へ
弘紀
悩みの相談もよく受けるのですが、一貫して伝えているのは「自分が自分の人生の主体であること」「リアルのつながりを大切にすること」、これらは核として伝えています。
一点目は葬儀の場でも伝えているのですが、そこでは故人に振り回されないこと。残る者がどう生きていくかが、どう善行を積むかによってそれが追善となって供養になる、ということです。最後は本人次第なので、周りに振り回されず自分の人生の主体であるようにと少々手厳しいですが伝えています。自分の人生の主体であるために「自分で決める事」も大切だと教えています。
玲音
「じゃあ具体的にどうすればいいの?」ってなりませんか?
弘紀
なりますね笑 なので二点目にもつながるのですが、こういうネット全盛の時代だからこそ、リアルのつながりを大切にし、今自分の周りには何があるか、どういう関係になっているか、見つめ直して一日一日を丁寧に過ごすこと。その中で自分自身でどう考えるか、その姿を支えていく立場として向き合うようにしています。
玲音
「日々是好日」に通じますね。私たちの人生も、一日一日、一瞬一瞬を無駄にすることが出来ず、大切に生きなければならない。そうした大切な一日を、また今日も迎えることができることはかけがえのない人生の好機ということですよね。
弘紀
まさしくそう感じますね。こういう話をする以上私たちも同じ教育者として僧侶として体現しなければなりませんね。
玲音
全く同感です。「自分の人生の主体は自分」として「リアルのつながりを大切に」し、精進していきましょう。貴重なお時間を頂き、ありがとうございました。
インタビューのご協力ありがとうございました!
これにて國井弘紀師によるecho完結です。
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